コピーが超大量にあれば、それは無価値

コピーが超大量にあれば、それは無価値になる。
コピーが超大量にあれば、コピーできないものは貴重で価値のあるものになる。

コピーが無料であれば、コピーできないものを売る必要がある。

超大量にあってもほんとうに無価値になるんだろうか。三角形の各辺の中点を結び三角形を作ってできた四つの三角形に対してまた同じ手続を無限に繰り返す……、というイメージが浮かんだ。出来たむちゃくちゃ小さい三角形群の一つ一つの三角形が末端に届くデータやサービスだとする。そしてその面積をそのデータやサービスが持つ価値だと仮定する。ひとつひとつの小さな三角形にはもうほとんど面積は無いけど、でもそれは単に測定できないだけで、それらをあわせるともとの三角形と同じ面積になる。貨幣の単位を細かくすればするほど、商品やサービスの価値を対価に反映しやすくなるように、実際には無価値にはならないのではないか。限りなく小さくするということは、数学や概念上は可能だけど、実務上はそう処理できないというか*1。価値という言葉の定義がはっきりしないのでもやもやする。

もちろん、そういう社会機構を目指すという話ならば納得できるが、そうとすれば、資本主義経済とは別個の仕組みになると思う。

*1:繰延資産のゼロ費用説みたいな